平成19年 5月 3日にアメリカンフットボールの高校の大阪代表対兵庫代表のOB戦(アンカーボウル)にオフェンス、レフトガードでフル出場しました。まだまだやれると意を強くする一方で、筋肉痛というよりも関節や筋が切れるかというくらいに痛みました。「年寄りの冷や水」とはこのこと? 試合は7対0で大阪代表OBチームが勝ちました。
平成20年 5月 3日にも再びオフェンス、ライトガードとして出場しました。敗れたのでスコアも忘れてしまいました。残念!
平成21年 5月 3日もアンカーボウルに出場です。今回はかつての池田高校の同期周辺のメンバーと池田高校のオフェンスユニットを組んで出場です。私のポジションはセンターです。日頃使い慣れていない筋肉を酷使して、その後に激痛に見舞われました。大阪代表のオフェンスの中でざっと半分のシリーズに池田高校ユニットとして出場させてもらい、タッチダウンも奪取しました。兵庫代表OBチームに圧勝でした。試合に勝ったことより、30年ぶりにかつてのメンバー(体形的には様変わりしていますが...。)と試合ができる幸せを噛みしめました。部分的にはかつてのファイターだった頃の片鱗を窺わせるプレーもあり、心の底から楽しめました。後の飲み会も心底騒ぎ、楽しみました。何だか涙が出そうなくらいに楽しかったです。 平成22年 5月 3日もまたまた出場です。もう病み付きになっています。今年も池田高校のオフェンスユニットでセンターのポジションでした。今年の池田高校ユニットの活躍は今一歩。事前に練習までしていたのですが、回り合わせが悪く、タッチダウンは奪えませんでした。試合は大阪代表の勝ちでしたが、ちょっと不完全燃焼感が残りました。その後の懇親会が楽しかったので、まあいいか。昨年まではこんな試合に出れるのもあと何回?みたいな気分がありましたが、これは結構ジジイに なっても出れるのではないかという気になってきました(妄想?野望?)。
今から20年程前、ハチ北スキー場でパトロールをしていた頃のスナップショットです。太腿まで潜る深雪を気持ち良さげに滑っています。最近も年に1~2回は滑りに行きます。主に温泉とコタツでの昼寝が楽しみになってしまいましたが...。
ロードレーサーに乗っています。大台ケ原ヒルクライムレースには今年で4回目の出場です。標高差1,260m、28km、傾斜が10%前後の劇坂区間が非常に長いハードなレースですが、完走を目的に走っています(残念ながら下から2割のグループに入っています。)。結果は以下の通り。
2006年 2時間19分34秒
2007年 大会中止
2008年 2時間34分19秒
2009年 2時間26分30秒
2010年 2時間14分43秒
なんと今年は、自己記録を更新しました。ゴールデンウィーク前からダイエットに取り組み12kgの減量に成功した(というよりゴールデンウィーク前に史上最高体重を記録していただけなのですが。)効果と、ちょこちょこと隙間時間を作りだしてはトレーニングに取り組んだ効果が出たのだと思います。丸々と太り、体力的にも劣えが見え出して、もうロードレーサーに乗れなくなるのではないかと危惧する状況に何とかストップをかけることができて満足しています。
仕事が忙しくなったり、お客様について心配な案件が出てくると、それに引っ張られて精神的に参ってしまい、ついついロードレーサーに乗る気力も萎えてしまいます。今後も長く元気に仕事を続けていくためにも、ロードレーサーを通じてストレスの発散ができるビタミン剤の様な存在で、この趣味と付き合っていければいいなあと祈念しています。
平成22年 7月25日にロードレーサーで吉野の大山岳地帯を走りぬくグランフォンドに出場しました。
今年はロング・イーストコース(総距離 170km、最大標高差961m、累積上り標高差4,660m、平均上り斜度7%、平均下り斜度6.7%、制限時間10時間)を完走しました。昨年はロング・ウエストコース(総距離140km、最大標高差978m、累積上り標高差3,752m、平均上り斜度7%、平均下り斜度6.8%、制限時間10時間)をヘロヘロになりながら、チームの皆に支えられ何とか完走しましたので、そのバージョンアップ版です。
今年は事前に減量(10kgの減量に成功)に取り組み、仕事の合間の細切れ時間で練習にも励み、事前準備としては精一杯の取り組みができていました。しかし本番はやはり厳しく、朝7時に吉野下千本駐車場をスタートしてから17時ちょうどに同場所にゴールするまで、カンカン照りの熱射の中で、喘ぎながら何とか気力で単独で走り切ったという感じです。途中に大きな峠が4ケ所あるのですが、その中でも足ノ郷越と大峰山の南側の五番関越が非常に厳しくて、足が壊れる直前までダメージを負いました。結果的には制限時間の30分前にゴールしましたが、本当に厳しい大会でした。
7月26日で50歳になるのですが、節目で自分ながらに誇らしい区切りをつけられたと思っています。写真はゴール後の完走承認手続き直後のホッとした瞬間を仲間が写してくれたスナップです。あまりにしんどくて、笑顔がひきつっています。